教会の間違い

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350年後の謝罪

  時々「ガレリオは死刑になった」と聞きますが、そんなことはありません。ガリレオにとって不幸中の幸いは、彼の庇護者であったメディチ家の運動によって刑が軟禁に減じられ、投獄は免れたことでした。成果を求めてつねに忙しく働いていたガリレオに、あり余るほどの時間だけが残されました。それを使って彼が『新科学対話』を書き上げたことは、のちの物理学の発展を考えると実に貴重なことでした。それは禁書となった『天文対話』に登場した同じ3人が、今度は力学について対話するという趣向でした。更に毎週1回7つの悔罪詩篇を唱える」ことは彼の娘である修道女セレステが代理で行った。
  1642年、ガリレオは異端の汚名を着たまま、この世を去りました。亡くなったとき、彼は全盲になっていました。望遠鏡をのぞき過ぎたことが原因といわれています。
  時はうつろい、20世紀も終わりに近づいた1979年のこと、アインシュタイン誕生百年を祝うローマカトリック教会の式典で、教皇ヨハネ・パウロ2世は次のように述べました。
  〈アインシュタインとガリレオはひとつの時代を画した偉大な科学者であったが、アインシュタインは讃えられているのに対して、ガリレオは大いなる苦しみを味わった。その原因をつくったのは、ほかならぬ教会内部の人間と教会機構であり、そのことが、信仰と科学とが対立するものだという思考を人々に与えたのだ。そこで教会は自己批判し、神学者、科学者、歴史家が「ガリレオ事件の真実」を協同で調査し、いずれの側の誤りであれ、その誤りを率直に認めることを求め、さらに、科学と信仰、教会と世界の調和を説く〉
  それは、教会がついにガリレオ裁判が誤りであったことを認めて自己批判し、ガリレオ事件の真実を調査することを宣言するものでした。1981年には「ガリレオ事件調査委員会」が設置され、その報告をうけて1992年、教皇ヨハネ・パウロ2世は最終声明を出します。
 〈卓越した物理学者としての直感と、種々の方法を実際に編み出したガリレオは、なぜ太陽だけが、当時知られていた、いわば天文体系としての世界の中心として機能するかを理解していた。地球が中心であることを主張したときの、当時の神学者たちの誤りは、物理的世界の構造についての私たちの理解が、ある意味で聖書の文字どおりの意味によって決められている、と考えたことだった〉
  こう述べて教皇は、ガリレオに謝罪し、その名誉を回復したのです。ときに、ガリレオの死から350年が過ぎていました。350年後の謝罪に意味などあるのか、と言う人もいました。教会自体も、そのような昔のことを深く考えてはこなかったのでしょう。しかし、かつての過ちを腫れ物にさわるように避けてきたことで、神の言葉を告げるべき教会が、神が創られた科学の発展についていけていないとの非難があがっていました。実際に、この謝罪がなければ多くの科学者が教会を離れていったでしょう。それは私も同じです。科学に捧げてきた人生が、「異端」とされてしまうからです。
  ヨハネ・パウロ2世は声明において、教会の間違いは「聖書の文字どおりの意味」にあまりにも固執したことにあると認めました。では、反省をした教会は、いまはこのことについてどのように考えるようになったのでしょうか。
  ガリレオが次のように語ったことがあります。
  「聖書と自然はともに神の言葉から生じたもので、前者は聖霊が述べたものであり、後者は神の命令の忠実な執行者である。二つの真理が対立しあうことはありえない。したがって、必然的な証明によってわれわれが確信した自然科学的結論と一致するように、聖書の章句の真の意味を見いだすことは注釈者の任務である」
  ヨハネ・パウロ二世は声明のなかで、このガリレオの言葉を正しいと明言しました。つまり、聖書の読み方は、科学の進歩によって変わるべきであることを教皇が認めたのです。では、それはどのように変わるのでしょうか。

 

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